『韓国最高裁が下した異常な判決「日本の物は著作権無視でOK」』
応募工訴訟問題では三権分立を盾に、暴走する反日市民団体を放置し続ける文政権ですが、韓国の異常過ぎる「国民情緒法」がまたもやとんでも判決を出しました。
まともな法律の存在しない韓国、これでも民主主義国家か先進国といえるのでしょうか?
「日本でベストセラーを翻訳した『待望』著作権法違反ではない」。
日本のベストセラー歴史小説『徳川家康』の著作権侵害の疑いで第一、二審で有罪が認められた韓国の出版社代表が最高裁で無罪となった。
最高裁判所2部は21日、著作権法違反の疑いで起訴された出版社東西文化社と代表のコ某氏にそれぞれ罰金700万ウォンを言い渡した原審を破棄し、事件を無罪の趣旨でソウル中央地裁に差し戻したことを明らかにした。
コ氏は営利を目的に小説『徳川家康』日本語版翻訳物を無断で複製·配布するなど著作権を侵害した疑いで裁判を受けてきた。
コ氏は1950~1967年に執筆された『徳川家康』を翻訳し、1975年に『待望』という名で出版した。
問題は1995年、世界貿易機関(WTO)知的財産権協定(TRIPS)の発効を受け、著作権法が改正されてから始まった。
改正法は、著作権を国際的に保護するベルン条約によって、外国人著作物の著作権を遡及して認めた。
但し、1995年以前に原作を利用した「二次的著作物」は著作権侵害の例外とした。
1975年版『待望』が2次的著作物と認められた状態でコ氏は本書の一部を修正し、2005年に再出版した。
これに対し、著作権者と契約した「徳川家康」韓国語版発行権者であるソル出版社は、コ氏が許諾なしに本を出したとして、著作権法違反の疑いで告訴するに至る。
1審裁判部は、コ氏に懲役8ヵ月、執行猶予1年、罰金1000万ウォンを言い渡した。
2005年版「待望」は1975年版に比べ修正された量が多いとし、著作権侵害の例外である二次著作物ではなく、新しい著作物と判断した。
2審裁判部も有罪を認めたが、量刑が重いとして罰金700万ウォンに減刑した。
しかし、最高裁の判断は異なった。
2005年版「待望」が人名、地名、漢字発音などを改正した外国語表記法や国語正書法によって修正したり、翻訳の誤りを正した部分などがあるが、2次著作物である1975年版と大差ないと判断した。
1975年版の待望は、単なる翻訳物ではなく、一部の創作的表現も加味した。
2005年版にも、このような創作性は大半が含まれている。
大法院は「1975年版と2005年版に違いはあるが、共通する創作的な表現の量的·質的比重がはるかに大きい」とし「2005年版は1975年版を実質的に類似した範囲で利用したが、社会通念上新しい著作物と見るほどに至ったと断定するのは難しい」と判決した。
このため、2005年版「待望」は二次的著作物の利用行為に含まれるとみて、原審が法理を誤解したとして、再審理を命じた。
【この記事に対する私の見解】
といったように、またもや反日トンデモ判決を出してしまった韓国司法ですが今回もまた文政権は「三権分立」を盾にノータッチを続けそうです。
TPP参加に熱視線を送る文大統領ですが、TPPは著作権などに関する条約も含んでいますからこのような判決が平然と下されるような国の参加が認められるのは難しくなりそうです。
だからこそ、韓国国内でこうした偏った司法の判断が下ることがあれば、積極的に是正措置をしていくことで、法治国家へ近づくべき努力をしなければいけないのに、異常すぎる「反日お気持ち裁判」は日々繰り返されています。
今回の裁判に関して言えば、もともと著作権意識の低い韓国で、韓国企業内でもパクリ合いが当たり前ですから、「異常度」で言えばマシなレベルだと韓国国民の間では危機感はそこまで抱かれていないようです。
しかし、一方では文政権に近い反日市民団体の作る著作物や銅像は異常なほど強固な著作権で守られ、彼らが莫大な富を得ていることは以外に知られていません。
少女像を作り続けるキム・ウンソン氏は、自身に「著作権」があると主張し、個人が自作した少女像は「著作権の侵害」として撤去させ、自身が作成した像の購入を強要しています。
自分たち以外の反日勢力が力を持つことは決して許さない、反日利権の独占のためなら、国内で意識されることの少なかった「著作権法」が厳格適用されるのです。
驚くことに彼らは純真な子供達の愛国心にも漬け込んでおり、中学生や高校生が少女像を設置しようと発言すると彼らを広告塔に、さらに多くの寄付金を集め、自身が作成した像のみを普及させようと必死になっています。
韓国企業間における著作権が機能していない中で、日本の著作物が守られないのは容易に想像できることですが、文政権に近い反日市民団体にのみ、恣意的に著作権法が厳しく適用されているというのは、文政権において、反日勢力がいかに治外法権状態にあるかを如実に表していると言えるでしょう。
韓国の司法界には国民情緒法という法の概念があることは今に始まったことではありません。
国民情緒に合致するものなら、司法はあらゆる実定法に拘束されない判断を下すことができ、民主国家にはあるまじき超法規の考え方が恒常化しています。
これまでも、韓国憲法で禁止されている「法の遡及」が反日関連だと平然と破られるなど、もはや憲法よりも強い、韓国における「反日」という利権。
これを解体しないことには、TPPの参加など夢のまた夢といってもいいでしょう。
■この記事に対する反響のポイント
恥ずかしすぎる…流石に日本を叩けない
それでは、この記事に対する反響なのですが…「ちょっと創作を加えたらセーフ…」「やばい、もう日本を盗賊だと言えない」「私も歴史的問題で日本嫌いだけど、これはちょっと違うんじゃない? 」このように、韓国国内では文政権以降、司法があまりに政権の意向に寄り添い、恣意的に法律が適用されていることに不満が高まっていることから、例えいい感情を抱いていない日本の作品に対しても、法が適切に機能しないということに対しては批判の声が集まっています。
また、近年韓国は中国企業による韓国製品の著作権侵害に苦しんでいることからも、日本の著作権を軽視することを問題視する声も上がっているようです。
文政権による司法の掌握がますます進行している韓国ですが、日本のこととなるとことさら治外法権の色が濃くなっています。
もはや中国や北と変わりないといっていいレベルの韓国の法治精神。
TPPに迎え入れるなどもってのほかといっていいでしょう。
こんな国と貿易をするのは危険すぎますし、まともな韓国企業が脱韓国したがるのも納得ですね。
続きは動画で…